寝取られ作品の多くは、拒むか、受け入れるかという軸の上に置かれています。強引に始まって抵抗し、やがて受け入れていく。その動きがあるからこそ、読者は変化を追うことができます。ところがこの分類は、その軸そのものを外したところに立っています。
認識を書き換える装置が入ることで、ヒロインは抵抗もしなければ同意もしません。目の前で起きていることを、本人だけが違うものとして受け取っている。拒否と受容のどちらも成立しないため、他のどの分類とも構造が違います。該当作品は1,918件で、その多くが同人フロアに集まっています。
ここでは、なぜこの型だけが段階の枠から外れるのか、そして何を求めて読む型なのかを整理します。
抵抗も同意も成立しない、という構造
この型でまず押さえておきたいのは、ヒロインが「嫌がっていない」のではなく、嫌がる対象そのものが本人の中に存在しないという点です。起きている出来事の意味が、本人の中では別のものに置き換わっています。
そのため、通常の作品なら見どころになるはずの場面が、ここではほとんど機能しません。拒む台詞も、葛藤も、罪悪感も出てきません。出てきたとしても、それは書き換えが解けかけている場面としての意味になります。
- 抵抗がない。強制されているという認識が本人にない
- 同意もない。選んだつもりがないため、責任の所在が宙に浮く
- 心変わりがない。関係の外に出た理由が本人の感情ではない
強引な入り方から始まる型(夜這い・調教)と比べると違いがはっきりします。あちらは本人の意思を封じたうえで、その後に意思が変わっていく過程を描きます。こちらは意思そのものを別の形に置き換えるので、変わっていく過程が発生しません。
段階の枠に乗らない理由
寝取られ作品は、強制から抵抗と快感を経て、常習になり、最後に完全に受け入れるという段階で説明されることが多い分野です。この見取り図はよくできていて、たいていの分類はどこかの段階に位置づけられます。
ところがこの型では、その段階が最初から存在しません。強制の段階がないのは、本人が強制と受け取っていないからです。抵抗と快感が同居する段階がないのは、抵抗する理由が本人の中にないからです。常習の段階も、自ら通うという選択が本人の意思ではないため、意味が変わってしまいます。
結果として、この型は「どの段階まで描かれるか」で作品を選ぶことができません。段階の代わりに何を見るのかを、あとの節で書きます。
読者だけが知っている、という視点差
この型の中心にあるのは、おそらく視点差です。何が起きているかを知っているのは読者だけで、当事者であるヒロインは知りません。
普通の寝取られでは、いちばん深く事情を知っているのはヒロインです。読者はその内面を追いかける側にいます。ところがこの型では立場が逆転して、読者のほうが多くを知っている状態になります。本人が穏やかに日常を続けているほど、読者との落差が広がっていきます。
この落差が効くかどうかで、作品の印象は大きく変わります。落差を作ろうとする作品は、日常の場面をあえて丁寧に描きます。何気ない会話や、以前と変わらない態度が並ぶほど、読者側の認識との距離が開くからです。逆に落差を捨てて、書き換えられた状態そのものを見せることに寄せた作品もあります。どちらが好みかは、はっきり分かれるところだと思います。
パートナーが気づくか、気づかないか
この型を選ぶうえで、いちばん実用的な分かれ目がここです。ヒロインが気づかないのは共通ですが、パートナー側が気づくかどうかで作品の性格が別物になります。
- 誰も気づかない。関係は表面上まったく壊れないまま進みます。読者だけが知っている状態が最後まで続きます
- パートナーだけが気づく。何を言っても本人に届かないという構図が生まれます。寝取られの苦さは、この型ではここに集まります
- あとから解ける。書き換えが外れた時点で、本人が初めて事情を知ります。ここから通常の寝取られに近い展開へ移る作品もあります
心理的な痛みを求めて読む人には、二つめが向いていることが多いようです。逆に、痛みの部分を避けたい人には一つめのほうが向きます。紹介文で「誰にも気づかれず」と書かれているか、パートナー側の視点があると書かれているかで、ある程度は見当がつきます。
書き換えられる範囲で、作りが変わる
もう一つ、作品ごとの差が出るのが、認識のどこまでが書き換わっている設定かという点です。範囲が広いほど日常が保たれ、狭いほど歪みが表に出ます。
- 記憶だけが対象。起きたことを覚えていない。日常はそのまま続き、ズレが最も見えにくい作りになります
- 感情まで対象。相手に対する好悪が入れ替わる。本人が自分の変化に納得してしまうため、読者との距離がいちばん広がります
- 関係の認識まで対象。誰が伴侶で誰が他人かという枠組みが入れ替わる。最も設定が大きく、日常の場面がすべて別の意味を持ちます
買う前に紹介文を読むときは、この範囲を確かめると外しにくくなります。記憶だけの作品を、関係ごと入れ替わる話だと思って読むと物足りなくなりますし、その逆もあります。
同人フロアに多いのはなぜか
この型が同人に偏っている理由は、いくつか考えられます。断定はできませんが、構造から説明できる部分はあります。
ひとつは設定の自由度です。認識を書き換える装置は、現実にある手順を再現するものではなく、作品の中だけで通用する約束事として置かれます。どこまで効くか、どのくらい続くか、解けるのかといった条件を作り手が自由に決められるため、実写よりも文章や絵のほうが扱いやすい題材になります。
もうひとつはシリーズ化のしやすさです。書き換えの範囲を少しずつ広げる、対象を増やす、解けかける場面を挟むといった形で、同じ設定のまま巻を重ねられます。段階で進む型は最後まで行くと続けにくくなりますが、この型は終点が定まっていないぶん、続きを作りやすい構造になっています。
結果として、他フロアで似た分類を探しても数が揃わないことがあります。作品一覧で媒体を切り替えると、この偏りは分かりやすく出ます。
裏切りが成立しないと、満足の質が変わる
寝取られの中心には、ふつう心理的な裏切りがあります。知っていて隠す、迷いながら会いに行く、パートナーの顔を思い浮かべる。そうした本人の内側の動きが、読み手の感情を動かします(寝取られの心理)。
この型には、それがありません。隠している自覚がなく、迷ってもいないため、裏切りという言葉が成立しにくいのです。そのぶん、得られるものも別のところにあります。
- 取り返しのつかなさが、感情ではなく事実として置かれる
- 責める相手がいないことによる、行き場のなさ
- 何も知らないまま続く日常という、静かな居心地の悪さ
この違いを知らずに読むと、「盛り上がりがない」と感じることがあります。盛り上がりを作る部品を、最初から外している型だと考えたほうが近いはずです。
この型が合わない人
正直に書いておくと、合わない読者はそれなりにいると思います。
ひとつは、ヒロインの葛藤を読みたい人です。迷い、隠し、それでも会いに行くという内面の動きは、この型にはほとんど出てきません。そこが好きで寝取られを読んでいるなら、段階を追う型のほうが向いています。
もうひとつは、本人の意思がない状態そのものが受け付けない人です。この型は意思を外すところから始まるため、途中で意思が戻る展開を期待しても、たいてい応えてくれません。
三つめは、現実味を重視する人です。書き換えの装置は作品内の約束事なので、どうしても現実の理屈からは離れます。設定を受け入れられるかどうかで、読み心地がまったく変わります。
分類を細かく分けているのは、こうした食い違いを買う前に減らすためです。合わないと感じたら、結末の分類から別の型を探してみてください。
作品の選び方
最後に、この型に絞って選ぶときの見方をまとめます。段階が使えないぶん、確認する点が他の分類とは変わります。
- パートナーが気づくか。苦さを求めるなら気づく側の視点があるものを
- 書き換えの範囲。記憶だけか、感情まで届いているか
- 解けるかどうか。解ける作品は後半で別の型に近づきます
- 日常の描写量。多いほど視点差が効き、少ないほど直接的な作りになります
この4点が紹介文から読み取れない場合は、同じ作者の他の作品を見ると傾向がつかめることがあります。この型はシリーズで作られることが多いため、作り手ごとの型が比較的はっきり出るからです。
寝取られという枠組み自体を確かめたい場合は、寝取られとは何かを先に読んでおくと、この型がどれだけ外れた位置にあるかが分かりやすくなると思います。