寝取られ作品の多くは、何が起きたかを描きます。この型が描くのは、それを見ている側です。夫が仕掛けた映像や、離れた場所から届く配信を通して、妻が寝取られていく様子をそのまま眺める。該当する作品は512件あり、視点の置き方が他の分類と根本から違う型です。
ほかの型では、読者はカメラの外側にいます。物語を外から追いかけ、登場人物の心情を推し量る立場です。ところがこの型では、読者の立ち位置が作品の中の「見ている夫」と重なります。画面の前に座っているのは夫であり、同時に読者でもある、という構造がはじめから組み込まれています。
そのぶん、合う人と合わない人がはっきり分かれます。感情を預ける先が寝取られる側ではなく見る側になるため、ヒロインの内面を追いたい人にはかみ合わないことが多いようです。ここでは、この型が何をしているのかを構造として整理します。
「見る」ことが構造になっている型
この分類の特徴は、視聴という行為そのものが物語の骨格になっていることです。ほかの型では、視点は演出の一部にすぎません。誰の目線で描くかを変えても、起きている出来事は変わらないからです。
この型は逆で、見ているという状況を外すと作品が成立しません。画面越しであること、その場にいないこと、手が届かないこと。この三つが同時に成り立っているからこそ、見る側に特有の感情が発生します。距離があるのに情報だけは届く、という状態です。
- 出来事そのものより、それを受け取る側の心の動き
- 介入できる位置にいながら介入しない、という宙づりの時間
- 自分の視界がそのまま登場人物の視界になる感覚
言い換えると、この型は寝取られる側の物語ではなく、寝取られたことを知る側の物語です。同じ出来事を扱っていても、重心が置かれる場所がまるで違います。
誰が見せているのかで意味が変わる
この分類は、大きく二つに割れます。夫が自分で仕掛けた場合と、第三者が見せてくる場合です。表面上はどちらも「画面越しに見る」ですが、作品としての性格は別物になります。
夫が自分で用意した場合、そこにあるのは自分で選んだ結果を自分で見るという構図です。疑いを確かめるために始めたのか、最初から見たくて始めたのかは作品によって分かれますが、いずれにせよ発端が本人にあります。そのため後半では、見たいと思ってしまった自分自身への視線が主題になっていきます。
第三者が見せてくる場合は逆で、見ることが強制されます。届いてしまった、送りつけられた、逃げられない。ここでは主導権が完全に相手側にあり、夫は受け取るだけの存在になります。屈辱や無力感を中心に置く作品は、多くがこちら側の構成を取ります。
リアルタイム性が生む「止めない」という選択
この型で最も効いているのが、進行中であるという設定です。すでに終わったことを後から知るのではなく、いま起きていることを見ている。この違いが、ほかの分類には存在しない要素を生みます。
それが止められるのに止めないという状態です。記録を後から見る場合、見る側にできることは何もありません。ところが進行中であれば、連絡する、駆けつける、割り込むという選択肢が理屈のうえでは残っています。それでも動かない。この一点が、見ている側を単なる被害者から、選んでいる人物へと変えます。
作品によっては、この選択が明示されないまま進みます。手が止まる、画面から目が離せない、といった描写だけで、選んでいることを読者に悟らせる作り方です。寝取られに惹かれる心理を扱う議論でこの型がよく取り上げられるのは、感情の説明を台詞に頼らず、行動しないことだけで示せるからだと言われています。
逆に、進行中という設定を取らない作品もあります。すべてが終わった後に記録として渡される形です。この場合は選択の余地がないため、焦点は「知ってしまった後をどう生きるか」に移ります。同じ分類の中でも、時間の扱いだけで別の話になります。
VR作品と相性が良い理由
この型はVR作品との組み合わせが多く見られます。理由は単純で、VRが視点を固定する媒体だからです。
通常の映像作品では、カメラが自由に動きます。寄る、引く、切り替える。視聴者はどこか一箇所に縛られているわけではありません。ところがVRでは、視点が一つの位置に置かれ、その場から動けません。この制約は普通なら不便ですが、この型に限っては構造そのものと一致します。
- 動けないことが、介入できない状況の再現になる
- 視点が一つであることが、見ている人物との同一化を助ける
- 顔が映らないことで、見る側が誰であるかを読者が引き受けられる
ほかの分類をVRにすると、視点が固定される制約はしばしば欠点になります。この型では、その制約こそが効果になります。媒体の性質と分類の性質がかみ合っている例だと言えます。
情報量が制限されるほど効く
意外に思われるかもしれませんが、この型では見えている情報が少ないほど効果が強くなる傾向があります。すべてがはっきり映っている作品より、断片しか届かない作品のほうが評価されることが少なくありません。
よく使われるのは次のような制限です。
- 音だけ。映像が途切れ、声や物音だけが届く
- 映像だけ。何を話しているのか分からないまま様子だけが見える
- 断片。回線が乱れる、画角から外れる、途中で切れる
制限が効くのは、欠けた部分を見る側が補ってしまうからです。分からない部分があると、人はそこを想像で埋めます。埋めた内容は本人の中から出てきたものなので、外から与えられた描写よりも強く残ります。寝取られという分類全体が想像力に頼る面を持っていますが、この型はそれをいちばん露骨に使っています。
- 全部見える→出来事の確認になる
- 一部だけ見える→見る側の想像が主役になる
- まったく見えず音だけ→最も負荷が高く、好みが分かれる
寝取らせ型との接続
この分類は、自分から差し出す型と地続きです。見るために状況を用意した時点で、そこには差し出す意思が含まれているからです。
ただし両者は同じではありません。差し出す型では、送り出す行為そのものが中心に置かれます。この型で中心にあるのは、送り出した後に画面の前で過ごす時間です。順番としては、差し出す型の続きにこの型がある、という関係に近いと言えます。
作品によっては、この二つが一本の中で入れ替わります。最初は疑って確かめるだけだったのが、途中から自分で場を整えるようになる。受け取る側から用意する側へ移る過程を描く構成です。段階を追って変化を描く型が寝取られる側の変化を扱うのに対し、この型は見る側の変化を扱っている、と整理すると分かりやすくなります。
媒体ごとの描かれ方の違い
同じ分類でも、媒体によって力点が変わります。
- 映像作品:画面の中の画面という構造をそのまま作れます。VR形式では視点の固定が効き、この型に最も向いた形になります
- 成年コミック:見ている側の表情と画面を同じページに並べられるのが強みです。内心を文字で置けるため、選ばない理由を丁寧に描けます
- 同人:音声のみの作品や、断片的な情報だけで構成する作品が作られやすく、情報制限の実験がしやすい場です
見る側の内面を追いたいなら文字と絵を併用できる媒体、体験そのものを求めるなら視点が固定される媒体、と分けて考えると外しにくくなります。
この型が合わない人
正直に書いておくと、この型は万人向けではありません。
まず、ヒロイン側に感情を預けたい人には向いていません。この型の視点は見る側に固定されているため、寝取られる側の心情はほとんど描かれないか、描かれても画面越しの推測にとどまります。心の動きを丁寧に追いたい場合は、ヒロイン側から描かれる分類のほうが合います。
次に、行動しない主人公が苦手な人です。この型の見る側は、原則として動きません。動いてしまえば構造が壊れるからです。主人公が状況を打開する展開を期待していると、最後まで何も起きないように感じられることがあります。
また、説明が省かれることを嫌う人にも合いにくい面があります。情報が制限されるほど効くという性質上、答えを明示しない作品が多くなります。何が起きたのかを確定させたい読者には物足りなく映るはずです。
合わないと感じたら、無理に読み続ける必要はありません。分類を細かく分けているのは、それぞれ別の人に向けて作られているからです。
紹介文からの選び方
買う前に方向を見分ける手がかりを挙げておきます。
- 「確かめる」「疑い」→ 発端が本人側。後半は自分への視線が主題になりやすい
- 「送りつけられる」「見せられる」→ 主導権は相手側。無力感が中心
- 「生」「同時」といった進行中を示す語→ 止めない選択が発生する構成
- 「記録」「後日」→ すでに終わった出来事を知る構成。選択の余地はない
- 「声だけ」「音声」→ 情報制限型。好みが強く分かれる
視点がどこに固定されているかは、紹介文の主語を見ると見当がつきます。主語が見る側に置かれている作品はこの型の中心であり、寝取られる側に置かれている作品は、見るという設定を使っているだけで実際には別の型に近いことがあります。状況別の分類と突き合わせると、より外しにくくなります。
512件という数は、この分類が細かく枝分かれしていることの表れでもあります。同じタグの中に、発端の違い、時間の扱いの違い、情報量の違いが混在しています。一本読んで合わなかったとしても、隣の枝が合う可能性は十分にあります。